#9 Mark Seltzer Revisited

このたびカリフォルニア大学ロサンゼルス校のマーク・セルツァー先生が再来日され、10月 25日(火)〜 11月 3日(木)まで、大学院の授業を担当してくださいました。全 4回におよんだ先生の授業は、院生がそれぞれ約 20分の発表をし、先生からフィードバックを頂戴するというもの。2年前の講演会と同様に、今回も院生によるレポートとともに振り返ります。なお、巽先生による序文「スーパーグローバル・プロフェッサーとの二週間−−マーク・セルツァー教授再来日」も特別掲載!


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CONTENTS

Photos: Lecture by Mark Seltzer “The Work of Art in the Epoch of Social Systems”

スーパーグローバル・プロフェッサーとの二週間−−マーク・セルツァー教授再来日
巽孝之

1. “So what?” と尋ねることなかれ
田ノ口正悟(博士課程)

志賀俊介(博士課程)

細野香里(博士課程)

冨塚亮平(博士課程)

大木雛子(早稲田大学大学院博士課程)

内田大貴(博士課程)

小泉由美子(博士課程)

大木克之(修士課程)

小林万里子(修士課程)

関連リンク
関連書籍



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Photos: Lecture by Mark Seltzer “The Work of Art in the Epoch of Social Systems”
2016年 10月27(木)14:45-16:15
慶應義塾大学三田キャンパス 西校舎 513教室
司会:巽孝之
主催:慶應義塾大学アメリカ研究プロジェクト、スーパーグローバル事業
共催:慶應義塾大学藝文學會







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左:宮坂敬造先生(慶應義塾大学名誉教授)
右:マーク・セルツァー先生
左から、セルツァー先生、
細野香里さん、田ノ口正悟さん(大学院ゼミ博士課程)
懇親会@CORE 田町

歓送会@鮨たか
左から、宇沢美子先生、セルツァー先生、小谷真理先生
左から、小谷先生、宇沢先生、セルツァー先生、
大串尚代先生、巽先生


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スーパーグローバル・プロフェッサーとの二週間−−マーク・セルツァー教授再来日
巽孝之

今年 2016年 10月中旬、カリフォルニア大学ロサンジェルス校教授マーク・セルツァー教授が再来日し、再度の公開講演ばかりか、こんどは本塾が正式に委任したスーパーグローバル・プロフェッサーというステイタスで院生対象の集中講義も行なった。彼はもともと極度の親日家で、ここ十年ほどは年に最低一度はお忍びで来日していたのだが、一昨年 2014年 9月にはそんな機会に本塾アメリカ文学専攻の博論審査に加わるのみならず、本塾では意外にも初めてとなる公開講演を行なったことは、すでに CPAの Panic Literatiでもふれたとおり。その経歴や研究の詳細も、現時点ではとくに加筆すべきところがないほど詳しく紹介済みだ。

それでは、今回の「スーパーグローバル・プロフェッサー」とはいったい何か。

 21世紀初頭の 2002年に、文部科学省は我が国の諸大学からトップ大学を選び出し、年間 1億から 5億円にのぼる補助金を集中的に提供することにより、教育研究の国際的競争力を一気に向上させようと目論んだ。これを「中核的研究拠点」(センター・オブ・エクセレンス [Center of Excellence]、略称 COE)構想といい、五年間で終了するも、 2007年からは「グローバル COEプログラム」というかたちで継続される。いわゆる「 21世紀 COEプログラム」は、今日まで続行している。さて、それとは似て非なるかたちで、文部科学省が 2014年に新たに企画したのが「スーパーグローバル大学創成支援」であり、全国から世界水準の研究を行い将来的には世界大学ランキングのトップ 100に入るのが可能と見た「スーパーグローバル大学」トップ型 (タイプA)を選び出し、最終的に残った13校のうちに私学では慶應義塾大学と早稲田大学が選ばれた。俗に言う国際発信力を高め、所属教員や学生の研究論文の引用頻度を上げ、教育環境や国際性そのものを充実させていくというもくろみだ。

こうした構想自体の起源は、20世紀中盤、アメリカ西海岸を代表する一流大学スタンフォード大学が、優秀な人材が同大学卒業後に東海岸へ流出してしまうのを懸念してテコ入れし、全米から著名学者を招集して大学院プログラムの充実を図り、じっさいに 1950年には同大学電気工学科を全米の代表格に押し上げた「スティープルズ・オブ・エクセレンス」[Steeples of Excellence]の構想に準拠しているだろう。その結果、スタンフォード大学の位置するサンフランシスコの南、パロ・アルトからサンノゼへおよぶ大学周辺一帯に、のちのシリコンバレーが出現し世界のテクノロジーを牽引している。こうした産学協同モデルの成功例が世界の各大学へ及ぼした影響は計り知れず、我が国の「スーパーグローバル大学」もその遠い派生物とみてかまうまい。

この呼称自体をめぐっては巷に批判もあるようだが、本塾においては、もともと三田キャンパス東館の主要な組織「グローバル・セキュリティ研究所」が存在し、 2004年より大学と社会の結節点たるべく多くの学際的・国際的企画に手を染めてきている。 2011年には 当時の常任理事・阿川尚之教授の肝煎りで、その内部に「 G-SECアメリカ研究プロジェクト」が設けられ、これはそれまで本塾に存在しなかった組織的なアメリカ研究の推進力となった。 アメリカ文学研究においては 2011年秋のシドニー大学教授ポール・ジャイルズ氏を囲むシンポジウムを皮切りに、 2013年のニューヨーク大学教授クリストファー・レスリー氏の講演、ウィリアム&メアリ大学客員助教(現・青山学院大学教授)メアリ・ナイトン氏 を囲むワークショップ、福岡大学教授デイヴィッド・ファーネル、安田女子大学教授タラス・サクの両氏を招いたシンポジウム、2014年の作家ジェラルド・ヴィゼナー氏の講演から、昨年 2015年 5月のケベック大学モントリオール校教授グレッグ・ロビンソン教授の講演、 6月の第十回国際ハーマン・メルヴィル会議、それに付随したカリフォルニア大学バークレー校教授サミュエル・オッター氏の講演に至るまで、さまざまな企画を実行に移してきたことは、下記の記録に詳しい。

とりわけ、アメリカ研究プロジェクト立ち上げ当初の具体的ないきさつとアメリカ文学専攻を中心とする第一回企画については、大串尚代教授が詳細な報告を発表しているので、一読されるとよい。

現在、 2016年の時点では、グローバル・セキュリティ研究所そのものの改組により、同プロジェクトからは「 G-SEC」の後援が外れることになったが、しかしまったく同時に塾全体で「スーパーグローバル大学」構想が本格化したことにより、旧来では考えられないほどの好条件で海外の一流大学の看板教授を招聘することが可能になった。かくして「スーパーグローバル・プロフェッサー」を委任された海外の著名教授はそれぞれ、二週間を目処に本塾に滞在し、大学院生中心の指導を行なうようになったのである。
 
具体的には、今回セルツァー教授には、わたしと大串教授の担当する大学院の授業(米文学特殊研究/米文学特殊研究演習)、すなわち火曜日二限と木曜日二限のコマを明け渡し、そこで院生各人の研究発表ひとつひとつに細かいアドバイスを与え積極的なディスカッションを展開してもらった。かくして教授は 10月 25日(火曜日)、 27日(木曜日)、 11月 1日(火曜日)、 3日(木曜日)には午前中の授業からランチをはさみ、時には午後に至るまで、一日 長い時には 4、 5時間ほども院生諸君と過ごし、彼らの学問的向上に貢献するところ大であった。終盤に至ると、教授のほうからの提案で、本来は予定されていなかった 11月 2日(水曜日)にも臨時授業を行ったという。人間的交流においても大きな成果があったことは明らかだろう。院生諸君は日本に居ながらにして北米の大学へ留学したのと同然の授業を体験できたわけであるから。さしずめスーパーグローバル・ステューデントというところだろうか。しかも、 10月 27日(木曜日)の四限には、学部ゼミ生を中心に一般に開放した公開講演「社会システムの時代における芸術作品」を行い、その時の熱い討議は以後の COREにおける懇親会にまで引き継がれた。教授は二年前の本塾講演で刊行を予告していた新著 The Official World  (Duke UP, 2016) がとうとう刊行されたこともあり、そのエッセンスである現実の自己言及構造をマット・デイモン主演映画『ボーン・アイデンティティ』 や『リプリー』(パトリシア・ハイスミス『太陽がいっぱい』)など豊富な実例を交えて検証し、まったく新しい文学思想の誕生に聴衆は熱心に聞き入り、教授は院生たちの積極的な質問にじっくりと答えていった。講演内容そのものは一見難解に聞こえるかもしれないが、その理論的中核にはキットラーやスローターダイクらドイツ系現代思想、とりわけドイツの社会学者ニクラス・ルーマンの社会システム論からする自己言及理論が据えられており、社会のメタ構造がたんにひとつの視点とか修辞的ギミックにとどまらず日常的現実そのものを構成しているという硬質の主張で貫かれている。個人的には、折しも今年度のノーベル生理学・医学賞に輝いた大隅良典教授の「オートファジー」( autophagy 細胞内部の自食作用)概念が、まさにセルツァー理論の傍証のごとくに聞こえたものである。

加えて、10月 30日(日曜日)には一橋大学にてヘンリー・ジェイムズ学者・町田みどり教授の肝煎りにより、 11月 4日(金曜日)には京都大学にて日本アメリカ文学会副会長・水野尚之教授の采配により、さらなる公開講演が行なわれたことも付記しておく。



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“So what?” と尋ねることなかれ
田ノ口正悟(博士課程)

マーク・セルツァー先生とお会いするのは、今回で 3度目になる。

最初は 2014年 9月、慶應義塾大学三田キャンパスにおける講演のために来日されたときだった。スリリングな講演内容もさることながら、その後で急遽決まった、先生を鎌倉にお連れするというツアーは非常に楽しいものだった。鎌倉大仏の前で、社会科の授業の一環なのか、懸命に英語でインタヴューする小学生に、柔和な表情で答えてらしたのが印象的だった。

再会は、カリフォルニア大学サンタバーバラ校に留学していた 2016年 3 月のこと。ロサンゼルスを訪れたわたしのために、先生は時間を割いて下さった。ヴェニスで美味しいピザに舌鼓を打ち、サンタ・モニカの海岸を歩いた。授業にうまく馴染めず、自分の研究にも自信がもてなかったわたしは、胸のうちを明かした。わたしの話に誠実に耳を傾けてくださった先生の姿は、アメリカ西海岸の陽光溢れるビーチ以上に心に残っている。その時、わたしはセルツァーという研究者をはじめて「先生」として認識したのだった。

今回、スーパーグローバル・プロフェッサーとしてセルツァー先生は、わたしたちの先生となった。多くのことを学んだ充実した時間だったが、特に印象的だったのは、発表に関するコメントをもらっていたときのこと。わたしは、文学研究に対して常につきまとう疑問、すなわち、文学研究は何のためにあるのかと問うた。先生の答えは驚くほどシンプルで、けれども深いものだった。“Do not ask, ‘So what’”。なぜ彼がこう言ったのかいまだにきちんと理解できていない。多様な人間の生(humanities)にまつわる謎や現象に向き合う文学研究に“So what”と問うことが孕む暴力性、すなわち問題の簡易化に警鐘を鳴らしていたのだろうか。

会うたびに先生は、これから考えたいと思う問いを与えてくれる。だからこそ、わたしはいち「生徒」として、これからも彼に向き合っていきたいと思うのだ。



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セルツァー先生の誠実な言葉たち
志賀俊介(博士課程)

マーク・セルツァー先生と過ごした二週間を通して、先生から学んだ最も大きなことは「研究者として誠実であることの大切さ」だ。これまで何度も日本を訪れているセルツァー先生だが、僕が先生にお会いするのは今回が初めてだった。先生が日本に来られた次の日にキャンパス内で挨拶をした時、「Markと呼んでいいよ。それが西海岸流だから」と微笑み(恐れ多くて最後まで呼べなかったが)、その場にいた僕達学生が自分の研究領域を伝えると、「僕の知らないことは君達に教えてもらいたい」と仰っていたのが印象的だった。僕は普段人見知りなのだが、そのとき不思議なくらい「この先生ともっと話をしたい!」と思った。

セルツァー先生の語られる言葉は、そのひとつひとつが居場所を理解しているように感じられた。多弁に過ぎることなく、それぞれの言葉にしっかりとした意味が与えられているようだった。自分の専門ではない発表についても、鋭い洞察と豊富な知識に裏打ちされた言葉で意見を述べられていた。授業内だけでは時間が足りないからと教室外でもランチを食べたりコーヒーを飲んだりしながら研究のこと、日本とアメリカの大学の違いなど色々話を聞かせて下さった。最後の講義の日に至っては話が長くなり、美術館へ行く予定を諦めて下さったほどである(曰く、「美術館は逃げない」)。学生のどんな質問にも真剣に耳を傾け、真摯に答える先生を見て、「本当にこの方は誠実なんだ」と思った。魅せられた、と言ってもよい。

二週間という限られた時間の中でセルツァー先生から学んだ最も大きなことは、知識ももちろんだが、それ以上に研究者として学問に向かう姿勢だった。僕も、人が耳を傾けるに値する誠実な言葉を語れるようになりたい、そう思っている。



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海の向こうへ繋がる二週間
細野香里(博士課程)

2016年 10月の終わりから 11月の初めにかけて、UCLAのマーク・セルツァー教授にご指導いただく機会に恵まれた。ちょうど留学を目標に様々な準備に追われている最中の私にとって、この時期にセルツァー教授の指導を受けることができたのは大きな幸運だった。授業では 20分程度、自分が行っているマーク・トウェイン研究の概要、そして『ハックルベリー・フィンの冒険』の続編、「インディアンの中のハックとトム」について口頭発表した。英語での口頭発表は、私にとって博士 3年目にして初めてのことであり、自分の研究がどの程度通用するのか不安だったが、計画中の博士論文の骨子となるアイディアを認めていただき、大きな自信となった。さらにセルツァー教授は、トウェインが生きた南北戦争後のアメリカにおける技術革新と時間論・空間論を組み合わせた、全く新たな観点から研究を発展させる方向性を示してくださった。教授の、学生各々の発表に真剣に耳を傾け、ハンドアウトの引用文一つひとつをじっくりと読みこんだ上で発言される様子からは、文学研究、そしてテクストそのものに対する誠実さ、精読への強いこだわりが感じられた。毎回 1時間半の授業時間ではとても足りず、授業後の昼食の席やカフェでも指導は続けられた。教授のお話の中でも、なぜ文学を学ぶのか、という私たち文学研究に携わる者にとって根源的な問いは特に印象に残っている。人文学への風当たりが強くなっているのはアメリカも日本も同じである。この風潮の中で、なぜ学ぶのか、いかに学んでゆくのか。今回セルツァー教授にご指導いただいた経験をもとに、考え続けていきたいと思う。

最後に、多忙なスケジュールの合間を縫って、セルツァー教授は晩秋の異国の地でクリスマスの買い物を着々とこなされていた。教授のプレゼント・リストの中の一つ、東京駅限定のメープルバタークッキー 2箱を調達する光栄に浴したことを、私は決して忘れない。



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セルツァー教授との日々
冨塚亮平(博士課程)

10月 25日より 2週間に渡って経験したセルツァー教授の指導で最も印象的だったのは、その極めて多岐にわたる関心領域の広さに裏打ちされたコメントの数々であった。近年では、狭義の文学研究のみにとらわれず、文化研究や哲学の領域とも隣接するような著作を発表されている教授は、例えばかつて美術批評誌 October に掲載されたというロジェ・カイヨワによる空間論や、近年フランスや日本で大きな話題を呼んでいるカンタン・メイヤスーらによる思弁的実在論の潮流など、新旧・専門領域を問わず、多様な参考文献や最新の学問潮流と研究に言及する形で、プレゼンテーションに対してご助言下さった。これまで、自らの研究と特に関連付けて考えてはいなかった様々な異分野の文献との関連性について指摘いただくことで、今後研究を進めていく上で重要な着想源となりうる大きな示唆を得ることができた。一方で教授は、安易な比較を行うことや、流行の研究テーマを追うことの危険性についてもご指摘くださった。今後は、常に大胆さと堅実さのバランスをうまく取ることを意識しつつ論文執筆に励んでいこうと考えさせられた。最後に、滞在中所定の授業時間のみならず、昼食からその後のティータイム、果ては別の日程にまで、お忙しい中時間を作っていただき、その中で熱心にプレゼンテーションに対してアドバイスいただいたことは、誠に得難い経験であった。セルツァー教授、ありがとうございました。いずれまたどこかでお会いできる日を楽しみにしています。



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セルツァー先生、食指が動くテクスト、そして魔法のランプ
大木雛子(早稲田大学大学院博士課程)

今年の巽先生のゼミの夏合宿に参加した時、先生が「マーク・セルツァー教授が来日し、慶應の大学院生の指導にあたってくださる」と仰っていた。先生とゼミのメンバーに非常に温かく受け入れていただいているものの、私は慶應の学生ではないため、今回ばかりは仲間に入ることはできないのだろうなあ、とその時ぼんやりと思いながら巽先生のお話を聞いていた。しかし、先生方のご厚意により、私はセルツァー先生の授業に参加させていただけることになった。英語で発表することは初めてだったので、正直にいえばものすごく不安だったが、セルツァー先生は拙い外国人の英語を馬鹿にするような人間とは程遠い素晴らしい先生で、何とか無事に発表を終えることができた。発表では、Mark TwainのPersonal Recollections of Joan of Arcにおける新たな女性表象に関する分析を行った。授業が始まる前に、小泉由美子さんがセルツァー先生のためにコーヒーを買いに行かれた時、先生は「彼女は天使だ」とおっしゃっていたが、そう仰った先生こそ天使のように優しく温かいコメントをくださった。先生は、私の考えを補強する論拠を、発表で扱った引用部分の中の具体的な語句に言及しながら明確に示してくださった。先生がくださったアドバイスにより、今まで「本当にこんなことを考えていて大丈夫なのだろうか」と、食べたことのない料理を作っている途中のような状態だったのが、本場の実物を味見させていただけたような感覚を覚えた。それに、発表で扱ったテクストを「読んでみたくなった」と言っていただけたのは初めてだった。自分が発表したことを理解してもらえた、それも英語という異国の言葉で伝えることができた、という実感は、いつも手探りで無明の闇の中を彷徨いながら研究をしている私に、橙色の灯の点った魔法のランプを手渡してくれた。先生がくださった勿体無いお言葉に見合うほどの研究をしていけるようにこれからも頑張ろうと心の底から思う。



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象談
内田大貴(博士課程)

英語にはエレファント・ジョークというものがあるらしい。一問一答形式の、端的に言ってしまえば、人を小馬鹿にしたような謎かけだ。しかし、これが答えるとなると存外に難しいのだ。たとえば、こんな問い。「象が冷蔵庫に入っていることを伝えるには? (How can you tell if an elephant is in the fridge?) 」。それに対する答えは、「どうしてもドアが閉まらないんだ (The door won’t shut) 」。この謎かけには続きもある。「そもそもどうやって象を冷蔵庫に? (How do you get an elephant into the fridge in the first place?) 」。「ドアを開けて、象を詰めて、閉める (Open door; Insert elephant; Close door) 」。

私たちの授業を担当して 2週目に入った日の午後、セルツァー教授がこんな問いかけをいきなり始めた時は、時差ぼけが治らないと言いながら連日あちこちで人と会い、授業や講演もこなして、と多忙なスケジュールだったことを知っていた私は、お気の毒に、さぞやお疲れなのだろうと思った。だが、教授はどうにもシリアスな表情で、いくつか問いかけを続ける。「わかりません」と私が答えると、笑いを堪えるように、しかしくすりとしながら答えを教えてくれて、一拍ののちに私は先生と同時に笑い出した。

何もジョークは国境を越えるのだとか言いたいわけではないーーそれはそれで間違ってはいないのだが。象が入っている冷蔵庫のドアが閉まらない、とりあえず象が冷蔵庫に詰められている(その手段を教えてくれているわけではない)。答えを知ってしまえば、そりゃそうだろ!と言わずにはいられないものだ。ただ、その発想がすぐにできないからこそ、このジョークは奥が深い。

エレファント・ジョークの答えは、まさしく目と鼻の先に象が立っているかのように、常にすでに目の前にあるはずなのだ。しかし、それに気づいているか、見えているかは、また別の問題だ。あまりに間近にありすぎるためにそれに気づかないということがある。目の前にあるのに、なかなか見えないもの、そういうものを見ようとする姿勢は、エレファント・ジョークを思考/嗜好する教授の姿と重なった。



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奇妙なゾンビ
小泉由美子(博士課程)

二年前の講演会 “The Suspended World” では、映画となった『ワールド・ウォーZ』が取り上げられていたため、わたしは普段あまりみることのないゾンビ映画に挑戦したことを覚えている。今回の授業では、わたしが独立戦争期の英国監獄船を取り上げたジョエル・バーロウの詩について発表すると、先生は「『ワールド・ウォーZ』のゾンビ “the living dead” のようだ」と言うのだった。

すると、“living” と “dead” が併記される奇妙さに囚われた。“living dead” は、『オックスフォード英語辞典』によれば、1917年ロバート・グレーヴスの詩「ぼくが殺されるとき “When I’m Killed”」が初出(形容詞)。第一次大戦の記憶いまだ生々しい折、「これらの詩にきみは、埋められて‘living-dead’となったぼくをみつけるだろう」とうたう。一方、1932年 D・H・ロレンスは、『最後の詩集 Last Poems』において「工場の‘living-dead’たる幾百万が、俺の生気をうばう」とうたう。前者には第一次世界大戦の大量死が、後者には資本主義社会の大量生産が背後に存在しよう。そんな時代を文脈にして現れた “living dead” という言葉は、なにか未曾有の大きなものの到来によって、小さく無力な個人が圧倒された結果、その個人において生死の境目が混乱をきたした表れのようにおもわれた。
 
一方、ジョエル・バーロウは詩の中で、“quick and dead”「生者と死者」という古代中世由来の慣用句を使う。ここで「生者と死者」は “and” を介し互いに安定した距離を保つ。この句の使用は、バーロウがそうした安定性を前提としていることを示す。しかしにもかかわらず(だからこそ?)、彼が描く英国監獄船の描写は、先生が感じたように、生死の境目が混乱をきたしている様子なのだ。また、バーロウは言語を “a living language” と “a dead language” に区別する。先生は、発表のときも国際文化会館にお迎えに伺ったときも臨時授業のときも、幾度となくわたしにバーロウのこの言語観について質問をしてくださったが、その肝は、「なぜ言語を人間の如く提示したのか?それは、一体どんなコンテクストとテクストの衝突なのか?」にあるようにおもわれる。もちろんこたえることはできなかったけれど。

セルツァー先生の圧倒的な知識と精読と語りに触れることができたのは言うまでもなく貴重な体験だったが、それにくわえて、ゾンビ映画は依然としてなじみがないのだけれども、“living” と “dead” という言葉がはなつ力に抗いがたいほどひきよせられた、そんな二週間なのでした。


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西洋の知識人と東洋の憐れな青年について
大木克之(修士課程)

明治の文豪の話。
鴎外はドイツ女をひっかけて帰国した。女は鴎外を追っかけて日本にやってきた。「鴎外さん、鴎外さん、どうして私を置いてくの?」「やあ、エリス。そんなつもりじゃなかったんだ。けれどもね。けれどもね。」そんな会話があったかどうかわたしは知らない。けれども、極東アジアの短軀の日本人が西洋女をフッたのは尊敬に値する。漱石はロンドンの一室にひきこもって読書した。「狼のような英国人のなかでひとり孤独な日本人なオレ。かわいそうだろ。かわいそすぎるだろ。」そんな独り言をしたのかどうかわたしは知らない。しかしながら偉大なる国民作家のそうした一面がいじらしくもある。

昭和のかっこいい男の話。
白洲次郎はケンブリッジ大学で洗練されたイギリス英語を身につけた。そして戦後すぐ、天皇陛下に無礼な態度をとったGHQを叱りつけた。そのイギリス英語で。「アメリカの田舎者め。おれの英語かっこいいだろ。」おそらくそんなことを思っていたのだろうし、たしかにかっこいい。敗戦の劣等意識にまみれた皇国の民たる日本人にも、そうしたかっこいい男がいたのである。

平成の頭の悪い大学院生の話。
おそらくこのカリフォルニア大学の教授は、この青年の発表の仕方について何かを指摘し、その後、inとatの使い方の過ちを指摘し、そのあと内容について何か再考を促すようなことを言っていたけれど、残念ながらこの院生は確信がもてない。頭が悪いからである。他の院生は同じタイミングで笑い、頷き、ため息を漏らす。シンクロしている。が、この院生は常に真顔である。もちろん真面目だからではない。断じて真面目だからではない。そしてこのカルフォルニア大学の教授の話が終わったのち、この青年はサンキュウベリイマッチと言った。この青年は思った。間違いなく思った。「いつか、きっと、かっこいいイギリス英語を身につけて、部屋にこもって一所懸命読書して、西洋女をかっこよくフッてやるんだ。」と。



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タイムスリップする想像力
小林万里子(修士課程)

私自身アメリカ人の教授の指導を受けるのも、英語で文学研究の発表をするのも初めてで、とても刺激に満ちた二週間だった。黒い服に身を包み、孤高の賢人を思わせるセルツァー先生は、一人ひとりの発表をじっくりと聞き、少しの沈黙の後ぽつり、ぽつりと話し出されると、とどまることなく知識の深遠へと私たちを連れて行ってくださった。最も印象的であったのは、先生の日常での興味、関心が全て先生の研究内容に繋がっているということだった。先生はしばしばテクノロジーについて言及され、今あるテクノロジーがなかった世紀転換期などのオフィスの様子や音風景(sound scape)を想像するように促されたが、その時代にタイムスリップしたような想像力を働かすことが、作品を読む上で思いがけない気づきを与えてくれることを改めて感じた。The Bostoniansにおけるタイプライターの影響について考察した私の発表では、蓄音機や電信など他のテクノロジーも実際ジェイムズの作家活動に影響を与えているとの指摘を頂き、テクノロジーの単なる手段にとどまらず、作家の創作や思考を支配しうる面白さを感じたので、今後もこのテーマをさらに深めていきたいと思っている。発表の際先生のBodies and Machinesを引用したこともあって、先生のテクノロジーやその身体性への関心が長年に渡り作品や作家を超えて続いていることを再認識し、翌日宇沢美子先生による大学院の授業で先生が仰った「自分の興味関心は作家は変われど一貫している。それに早く気付けるとその後の研究選びが楽」という話ともつながって腑に落ちた。セルツァー先生も仰っていたように、今後自分がどのようなアプローチをとって修論を書いていくのかまだ未知数で、今はただ「出口のないトンネル」をひたすら歩いているような気分に苛まれるが、その迷い道も楽しみながら今後修論に臨めたらと考えている。



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【関連書籍】
Mark Seltzer, The Official World (Duke UP, 2016)