#8 Keiko Itoh

さる 2016年 3月 9日(水)に、慶應義塾大学三田キャンパスにて、伊藤恵子先生(作家、歴史家)による藝文學會講演会「歴史家が小説を書く時——My Shanghai, 1942-1946 を中心に」(巽先生司会)が開催されました。Panic Literati 第 8回は、先生による特別エッセイをお送りいたします!


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伊藤恵子氏との出会いは奇遇だった。

わたしは 2015年度より、文科省科研費個人研究で「モダニズム文学形成期の英米における慶應義塾の介在と役割」なるテーマの調査を進めているが、そのゆえんのひとつは、 20世紀前半における横浜正金銀行ロンドン支店とそれをめぐる慶應義塾周辺の文学者たち、知識人たちの関係を探るうちに、20世紀初頭に横浜正金銀行ロンドン支店長を務めた祖父・巽孝之丞のことを記した一冊の書物に行き当たったことにある。2001年、伊藤恵子という経済史家がラウトリッジ社より刊行した『戦前のイギリスにおける日系共同体』(The Japanese Community in Pre-War Britain: From Integration to Disintegrationなる浩瀚な研究書が、それだ。そこには伊藤氏の母方の祖父にして、最後の同行ロンドン支店長になった子爵・加納久朗(かのう・ひさあきら、 1886年 -1963年)が執筆した我が祖父の想い出が引用されていた。2014年夏にたまたまロンドン出張の予定があったわたしは、さっそくロンドン日本人会を通じて彼女にコンタクトを取った次第である。はたして同年 8月 22日(金曜日)の午後、パーソンズ・グリーンに住むロンドン経済史家の伊藤恵子さん宅を訪問した。初対面というのに伊藤さんはワインにビール、パスタランチまで用意してくださった。さっそく資料を交換すると、大いに話がはずんだものである。前掲の加納久朗による回想録を含むテクスト「ロンドン生活談義」(<正金人>最終号、 1947年)の原文コピーも賜った。

@伊藤恵子氏宅  2014年 8月 22日
伊藤恵子氏は神戸生まれの典型的な帰国子女。小林聖心女子学院など日本での教育も受けながら、スワスモア大学、イエール大学大学院を経て国連本部や欧州復興開発銀行(1992年 -1995年)、世界銀行ロンドン・オフィスに勤務した蓄積をもとに 2001年ロンドン・スクール・オヴ・エコノミックスより博士号を取得され、その成果を公刊したのが前掲著書である。これは 1920年代、30年代にイギリスで芽生え、小さいながらも影響力を有した日本人社会を分析した緻密な社会史であり、豊富な資料と分析に裏打ちされている。

さて、ちょうどこの初訪問の時に執筆中とお聞きしたのが、伊藤さんがご自身のご母堂を主人公に第二次世界大戦中の中国における日系共同体の物語であり、それがついに昨年 2015年に『わが上海、 1942年 -1946年』My Shanghai, 1942-1946 ( Renaissance) のかたちで上梓された。祖父・加納久朗氏は最後の横浜正金銀行ロンドン支店長として第二次世界大戦の苦難を耐え忍び、一時は英米の敵性外国人としてマン島に強制収容されたほどであったが、いっぽうご母堂・加納英子(かのう・ひでこ)氏のほうはイギリスで教育を受けながらも、戦争勃発直後、結婚早々の 20歳の時には、のちに伊藤忠社長となる伊藤英吉とともに上海で暮らし、フランス系租界の中で上流階級ならではの特権的な生活を楽しんでいた。そこでは最高級ホテルでのパーティや観劇、ナイトクラブ、野外音楽会など豪華絢爛な絵巻が展開される。イギリス作家  J・ G・バラードはスピルバーグ映画にもなった自伝的長編小説『太陽の帝国』( 1984年)においてまったく同時代の上海租界を扱い、作家自身とおぼしき少年ジムを主人公に据えたが、彼が戦争の激化で両親とはぐれ捕虜収容所などで暮らすうちに心に秘めるようになったのは、皮肉にも日本軍こそ勇気の象徴であり自分もゼロ戦パイロットになりたいという錯綜した夢なのだ。いっぽう伊藤氏が『わが上海』主人公キシモト・エイコ(本書の人物はすべて現実に基づきつつも仮名にしてある)の視点を通した日記形式で描くのは、旧来の第二次世界大戦を扱う日本文学ではかえりみられなかった戦時中の上流階級の若き主婦が戦局の変化に応じて窮乏をきわめていく運命である。ふつうの戦争小説であれば、戦場の兵士たちを活写するものであり、げんに 2015年には大岡昇平の『野火』の新しい映画化がサイバーパンク監督として出発した塚本晋也の手で実現し、安保関連法案を批判する風潮を促進した。けれども本書『わが上海』が描く 5年間で明らかになるのは上海コスモポリタン社会において、戦局が悪化しようが必ずしも国家同士の敵対関係だけが戦時中の日常ではなかったという事実、終戦後もリンボーにいるかのごとき日々が続いたという事実である。

たとえばヒロインの綴る日記のうちでも 1945年 8月 6日の項目を見よ。
“High above the blue skies float strips of clouds that look like fish scales, and I can already feel an early autumn breeze. . . . And I overheard Japanese neighbours in the building saying that radio broadcasts from military headquarters report important Japanese victories against the encroaching Americans.  I wonder if this means that we are close to war’s end, that a settlement for peace can finally be worked out” (pp.310-311).

この日付を見れば、現代人ならばほとんど脊髄反射的に広島への原爆投下を連想するであろう。したがって、この項目にそのことが一言も触れられておらず、戦局の悪化を懸念しつつも静謐な日々が続いていることに違和感すら覚えるであろう。しかし、これが戦時中の上海における若い主婦が見たリアルタイムの日常感覚であることを、わたしは否定することはできない。著者はあえてヒロシマに言及しないことによって、メディアの情報ネットワークが必ずしも万全でも即時的でもなかった当時のリアリティを醸し出している。それは、日記の記述が静謐をきわめるほどに、戦争の残虐を暗示してやまない。ちなみに、細かなことだが、本書の最初のほうには、この日記帳自体を自身の親友と見なすくだりが出てくる。それは、かのアンネ・フランクが『アンネの日記』( 1947年)において自身の日記帳を「キティ」と人格化して呼んでいたことを彷彿とさせる。

かくしてロンドン在住の経済史家にして小説家でもある伊藤恵子氏がたまたまこの 2月、3月と来日(帰国?)されることになったので、慶應義塾大学藝文学会とわたしの科研費により、これまでの経済史研究ともからめたお話をしていただきたいと思い、 2016年 3月 9日(水曜日)午後 3時より、本塾北館第二会議室にて、「歴史家が小説を書く時」をテーマの講演をしていただいた。横浜正金銀行ロンドン支店の気風がいわゆる Noblesse Oblige であること、小説『わが上海』の登場人物は実在する人々をモデルにしているもののエピソードの大半は虚構であること、 8月 6日の日記はあとから加えたほうがいいと考えて入れたが、ただし 8月 9日の日記に関しては「空が奇妙なオレンジ色に変わった」という描写によって長崎に原爆が投下されたことを匂わせたことなど、パワーポイント映像を駆使したスライドショーとともに有意義な注釈を窺うことができた。講演会にはキシモト夫妻の長男カズとして表紙写真にもなっている著者の実兄・伊藤公一氏やその御子息である本塾理工学部教授・伊藤公平氏、作家の茅野裕城子氏や野中柊氏らが来場され、生粋の日本人が英語で小説を書く意義など、充実した質疑応答が交わされた。





伊藤恵子氏のウェブサイトは下記のとおり。
http://keikoitoh.com/


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【講義情報】

藝文學會講演会歴史家が小説を書く時——My Shanghai, 1942-1946 を中心に」
日時:2016年 3月 9日 (水) 午後 3時〜 5時
会場:慶應義塾大学三田キャンパス 北館一階第二会議室
講師:伊藤恵子(作家、歴史家)
司会:巽孝之(本学文学部教授・英米文学)
主催:慶應義塾大学藝文學會、文部科学省科学研究費助成事業基盤研究 (C) 15K02349「モダニズム文学形成期の慶應義塾の介在と役割」

【関連リンク】
藝文學會講演会「歴史家が小説を書く時——My Shanghai, 1942-1946を中心に」講師:伊藤恵子先生(作家、歴史家)/司会:巽先生@三田キャンパス 北館一階第二会議室 15:00-17:00(CPA: 2016/02/28)
【Event Photos】2016/03/09:藝文學會講演会「歴史家が小説を書く時——My Shanghai, 1942-1946を中心に」講師:伊藤恵子先生(作家、歴史家)/司会:巽先生@三田キャンパス 北館一階第二会議室 15:00-17:00(CPA: 2016/03/11)
慶應義塾大学文学部藝文學會

【関連書籍】
Keiko Itoh, The Japanese Community in Pre-War Britain: From Integration to Disintegration (Routledge, 2001)


Keiko Itoh, My Shanghai, 1942-1946 (Renaissance, 2015)